「あ」の河童
右手に持っているのは
得意の相撲に使う軍配

「うん」の河童
右手に持っているのは
大好物のキュウリ

千年杉(御神木)
御祭神が御出現になってから270年後の天延元年(973)、少納言 清原正高がこの地を訪れ、里人たちから雲石のいわれを聴き、境内を用意し御殿をお建てして厳かにお祀りせよと命ぜられ、現在地に御鎮座されました。その際に境内には神様を長く久しくお守りするための荘厳な森を作る計画から、千年杉は植えられたと考えられています。

お代官様の石灯籠
江戸時代の初めは細川忠興、小笠原長次ら歴代藩主の崇敬があり、元禄11年(1698)、この地が幕府直轄の「天領」となってからは日田の代官所の支配となりました。
悪代官だったとも伝えられる岡田庄大夫俊惟が寛保4年(1744)に奉納した石灯籠が残っていますが案外粗末なもので、後に江戸へ戻って破格の出世を果たした人物だけに、代官という立場をよく表した石灯籠だと言えそうです。

大イチョウ
雲八幡宮の森の見どころは千年杉だけではありません。イチョウも大変美しく11月には境内が黄金に輝きます。その年その年で時期に違いはありますが、概ね11月20日頃には“イチョウのじゅうたん”が仕上がります。

「御神木、お別れの日」(約10分)
 平成16年の台風で無惨に折れた雲八幡宮の御神木「千年杉」。折れても下枝ひとつで生き、人々に感動と勇気を与え続けてきた。しかし、以後6年の歳月に痛みが進み平成22年9月15日、遂に惜しみつつ止む無く伐採することになった。千年以上も親しまれ、崇められてきた御神木。その最後の雄姿を、その歴史的瞬間をご覧ください。
→https://youtu.be/L6bIVOgh0Qg
千年杉の根くぐり
雲八幡宮の御創建当時から御神木として鎮守の森を守ってきた千年杉でしたが、平成16年の猛烈な台風18号によって折れてしまいました。しかしそれまで約1100年もの間、御神木として神様の森をお守りしてきた生命に敬意を表し、千年杉の根を丁寧に掘り上げ家をお建てしました。
 天に向かって真っすぐに聳える千年杉の根が如何に踏ん張っていたか、その生きた証をじっくりとご覧ください。

雲乃社に神々しく日の光が差す

明治維新の手水鉢
明治維新になり、廃藩置県の前年(明治3年)、藩制最後の当地の藩知事 宗重正(対馬の殿様)が藩民の繁栄を祈願して奉納、自然のままの見事な手水鉢です。

阿吽(あうん)の河童
そもそも狛犬は、参拝者が無事にお参りできるよう見守るためにいますが、雲八幡宮では河童にも見守って頂いています。
平成2年、御大典を記念して建立された雲八幡宮ならではの狛河童です。この他にもあちこちに河童像があります。探してみてください。

   御 祭 神

くものやはたのおおかみ
雲八幡大神 (応神天皇、神功皇后、大山積神)

みょうけんおおかみ  あめのみなかぬしのかみ
妙見大神  (天御中主神)=相殿に坐す

 →本社の境内から400m下流に神功皇后が三韓征伐の帰途、お腰掛けになった石があります。
 大宝3年(703)、この石から白雲が立ちのぼり童形の神様がご出現になったと伝えています。この石は「雲石さま」と呼ばれ、里の人に崇敬されました。

御鎮座1000年記念碑
元東宮侍従長・侍従次長から明治神宮宮司まで務められた故・甘露寺受長氏が揮毫されました。

雲八幡宮御神木伐採・顕彰事業記録映画