御 祭 神

くものやはたのおおかみ
雲八幡大神 (八幡大神、大山積神)

みょうけんおおかみ  あめのみなかぬしのかみ
妙見大神  (天御中主神)=相殿に坐す

 →本社の境内を流れる小川の下流、約500mに「雲石」があります。
 この石から七色に輝いて立ちのぼる雲の中から大宝3年(703)童形の神様がご出現になったと伝えています。
 この石は神様の降りられる座、いわゆる磐座で『雲のやしろ』と祭られました。古代の場、雲八幡宮の元宮です。

明治神宮甘露寺宮司揮毫の
御鎮座1000年記念の碑

雲八幡宮御神木伐採・顕彰事業記録映画

 ←→狛犬とは、そもそも参拝者がお参りを無事に済ませて帰ってこれるように祗候する(お側で奉仕すること)ことを目的として作られています。
 かっぱ祭によって鎮められた河童の神通力をもって里を守ってきたことにあやかり、平成2年の天皇ご即位を祝い、世界平和、五穀豊穣を祈願して建立された雲八幡宮ならではの狛河童です。

「御神木、お別れの日」(約10分)
 平成16年の台風で無惨に折れた雲八幡宮の御神木「千年杉」。折れても下枝ひとつで生き、人々に感動と勇気を与え続けてきた。しかし、以後6年の歳月に痛み進み平成22年9月15日、遂に惜しみつつ止む無く伐採することになった。千年以上も親しまれ、崇められてきた御神木。その最後の雄姿を、その歴史的瞬間を一人でも多くの方に見届けて頂けたら...、千年杉も本望なのではなかろうか!

 通称「千年杉」とよばれる雲を突くような杉木立が雲八幡宮の歴史を物語っています。 古来この地は「雲の森」と呼ばれ、古歌に、

  村雨の けさも行き来の 雲の森 いくたび秋の こずえ染むらむ

と詠まれ、境内に明治の能筆家・小野鵝亳の碑が立っています。1300年祭のとき、お披露目をした神楽「神杉の舞」の破(「は」・1番)の歌詞はこの歌です。因みに、急(「きゅう」・2番)の歌は、

  千代をへて 宮居行き来の 人を見し この幹ふとき 神杉かしこ

境内を流れる小川(あさひ川)

「うん」の河童
右手に持っているのは
大好物のキュウリ

「あ」の河童
右手に持っているのは
得意の相撲に使う軍配

神々しく日の光が差す雲石

お代官様の石灯籠

 江戸の初めは細川忠興、小笠原長次ら歴代藩主の崇敬があり、元禄11年(1698)、この地が幕府直轄の
「天領」となってからは日田の代官所の支配となりました。
 悪代官だったとも伝えられる岡田庄大夫俊惟が寛保4年(1744)に奉納した石灯籠が残っていますが案外粗末なもので、後に江戸へ戻って破格の出世をした人物だけに、代官という立場をよく表した石灯籠だと言えそうです。

千年杉の雲の森

 →雲石に神様がご出現になってから270年後の天延元年(973)、少納言・清原正高(都からこの地に左遷されて下ってきた人物)によって現在地に御鎮座になりました。平成15年は、実に御出現1300年を向かえ、前夜祭には雅楽コンサート(1300年記念創作神楽「神杉の舞」お披露目など)を開催、当日祭には稚児行列などの御神幸もあり、大変な賑わいでした。

「生き続ける千年杉」(約11分)
 「御神木、お別れの日」の続編。涙、涙の御神木伐採であったが、これまでの千年杉に対する感謝の気持ちから、その命を偲び顕彰しようと雲八幡宮総代会の役員たちが奮い立った!さらに御神木のなくなった後の境内整備に至るまで、およそ半年にも及ぶ事業の全貌を完全実録。汗と涙が光る感動のドキュメント!

明治維新の手水鉢

 明治維新になり、廃藩置県の前年(明治3年)、藩制最後の当地の藩知事、宗重正(対馬の殿様)が藩民の繁栄を祈願して奉納、自然のままの見事な手水鉢です。
〒871−0433 大分県中津市耶馬溪町宮園363
TEL/FAX (0979)56−2309  URL http://kumohachiman.j-air.net/